●今日、72歳、中期高齢者。夫の誕生日は10月15日だった。まだお葬式も済んでいないので、誕生日などどうでもいいのに、子供たちが何かしようと言う。夫を4年間も看てくれたフィリッピン娘のリリオと日本から学生ビザで来ているチサトちゃん(夫がホームに入ってから日中、主に看てくれていた)その二人にお礼を兼ねて今日家に来てもらい、私がトンカツを揚げて持成すことに決まった。主客転倒だが、貧乏性の私はレストランで高いメニューから選んだりするのがストレスなので、この方がハッピーバースデーなのだ。

●思えば、夫は人に恵まれていた。誰もが好いてくれ、やさしくしてくれた。リリオは始め派出所から来ていたのだが、ホームに入ってからは直接折衝で来てくれ、最後まで少しも手を抜かず、実の親を看るように看てくれた。別れの夜も駆けつけて「Good-bye, Mr. Watt、私の一番好きな患者さん」と声を出して言ってくれた。前夜、息子が15年前の姉の結婚パーティのビデオを見せた。そこにスピーチをしているMr. Wattが出てきたので、初めて夫の肉声を聞いて、いたく感激していた(彼女は喋れなくなってからの夫しか知らない)。

●いつも息子の発想には驚かされるのだが、亡くなる前夜には夫が好きだった(多分最も)映画「第三の男」のDVDを2回続けて流した。それに勿論、ジョニー・キャッシュとロイ・オービソン。そして、ファミリービデオも。どこにあったのかも知らなかった。以前来ていた日本人の女指圧師を呼んでマッサージをしてもらうか、少し楽になるのでは、とまじめな顔でいう。こういう健全な発想力は父親から受け継いだもの。DVDも指圧師も私には思いも付かないどころか、もうじき死んでしまうのに今更?と殺してかかっている。

●娘は着いて間もなく、あちこちへメールで訃報を送り始めた。夫の友人は世界中に散らばっているので、必死の作業。だが、これは彼女しかできないので全部お任せ。実は娘は最初、土曜着の飛行機で来たかったのだが、席が取れず、やむなく一日早めて、金曜の朝に着くフライトで来た。死に目には会えなかったものの、一日早くなったのは偶然とは思えない。また、亡くなった12日は私が何もなければ帰国と決めていた日、これも偶然ではない気がしている。運命論。13日午後から3人でホームへ行き、部屋の片づけを始めた。

●ここは片付けオバサンの出番とばかりに片っ端からゴミ袋に投げ込み始める私を見て、息子が「ゆっくりしようよ」と困惑顔で言う。「こんなものはね、勢いでするのよ、自分たちでしなければ終わらないんだから、あんた、いやなら外に出ていてよ」とペースをゆるめない母。小箪笥の4つの引き出しと物入れと洋服たんすの中は全部取捨選択完了、ダンボールと大きなバッグを車に積み込んで、家に帰った。残りは合わせて300はあるか、CDとDVDとそれを並べていた細い本棚が4本(テープの幅で床から天井までの細長い棚)。

●帰宅後、張り切り過ぎでベッドになだれ込んだ私は夕食にも起きずに寝っぱなしだったので、娘が何回も、生きているか確かめた、と笑っていた。家の中に大人が4人もいると息が詰まる。今までは誰かがホームにいたので、揃うことはなかった。みなの意見でその夜「コロンボ」を見始めた、日本なら荘厳なお通夜になるところ、私たちはDVDを見てリラックスしていた。息子は疲れが出たのだろう、途中でフロアでバタンと寝てしまった。

Mailto
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