全国のみなさん、長い間ご無沙汰してすみません。
この間、何をしていたか?これといって何もしてなかったのですが、まず「ワットさんのALS物語」の出版に漕ぎつけるまで、なんとなく頭が呪縛された毎日だった。そして、先月、無事出産、ではなく出版されました。既にお読みくださったかた、ありがとう。感想を送ってくださったかたは、もっとありがとう。最後のGoサインを出すときは、思い切りが大事なので、大きなストレス、なぜなら、出したら、もうやり直しは利かない。
人生、大体がやり直し不可ですよね、決断の連続、それはストレスの連続でもあります。「ALS物語」の最後に載せた夫の残した数行の言葉、「ああすべきだった、すべきでなかった、と思わないでくれ」という、遺言が意味深いのですが、大いなる安らぎでもありました。あのページは最後の最後に編集者に、実はこんな紙切れもあるんですが、と差し出したら、即「載せましょう」となったのでした。何にでも正直な息子は「私が死ぬまで開封しないこと」という父親の一言に忠実に従って、開封しなかったそうです。かたや、娘のほうは「私も同じ封筒もらったんだけど・・・」とどこへやったかさえも忘れた風でした。
今、私の仕事は「あけぼのニュース133」の作成に入っていて、ようやく全ページが見えてきて、今後校正作業を2,3度繰り返したら、完成の予定。これも結構精神的に呪縛されて、他の事に頭が回らなくなる。早く終えたい。でも、終わるとすぐ次の号を考えなければならない。自転車操業とはちょっと意味合いが違うのですが、年がら年中、自転車を漕いでいる感じであります。レター作りを35年も続けてきて、何かもっと変革が要るのでは、と迷いながら、まあ世に新聞と呼ばれるものは何年も続いていると納得したりしています。
あけぼのハウスですが、その昔、あけぼの会は病院訪問ボランティアという海外の活動を移入して、聖路加国際病院を皮切りに熊本や福岡などで、患者が入院患者を訪問するユニークなボランティア活動を始めていたのですが、ハウスを開始するに当たって、それを中止したのでした。私の決断に対して、病院側、また中心になっていたボランティアたちから、猛烈な非難を受けました。長年続けてきたものを突然中止するとは何事かと。訪問する代わりに患者が自ら出向いて来る場を提供するということだったのに、です。
非難を受けたばかりか、その後に病院側で始めた活動の中から、あけぼの会の紹介は外されるという仕打ちを受けた。何ともケチなお話でした。私は時代の流れを感じていて、これからの患者はベッドで寝て待ってはいない、自ら歩いて来る時代、決断は変えなかった。大体、一人の患者を一人のボランティアが訪問するのは、効率が悪すぎた。交通費もかかる、時間もかかる、患者が強くなっているのに、そんなサービスが本当に必要なのか?
それで、ハウスを始めて、今、ホームページだけの案内でも、参加する人が増えている。
あけぼのハウス、バンザイ!もっとうれしいことは、これが全国に波及して、あちこちの県支部で展開されていること。どこの県に住んでいる患者でも、みな自由意志で積極的に動いて、自分の病気を知ろうとしている。何度も言いますが、寝て待ってはいない。やはり、‘先見の明’があった、と自分をほめているのですが、これは調子に乗り過ぎですね。 ワット