●今回の「ワットさんの巡業リポート」はHP巻頭の方に廻されたので、今日はプライベートなことを書いてみようと思う。先日も埼玉の会場で数人から「読んでいますよ」と声かけられてうれしかった。励みになる。あけぼの会の仕事をしているとき「どんなときも軸足がぶれない」というほめ言葉をもらった。簡単に揺らがない。「芯を通す」とも言える。これは「我を通す」こととは違う。聞く耳を持ちつつ、自己を失わないことだと思う。
●わが来た道を振り返ると、いろんな場面を思い出す。私は小学校の時から筋を通す子供だった。今の若い人は知らないと思うが、あの頃は学校で体育の時間に行進をさせて、「全体止まれ」「右向け右」というような軍人と同じ命令があった。止まれ、の声がかかったら、1歩2歩3歩の3で両足をそろえてピシッと止まる。ところが要領が悪いと、このリズムに乗れなくて、前との間隔を正しく詰められない子が必ずいて、止まったあとにあわてて小走りして合わしたりする。そんな時、私は3で止まったら、絶対に動かなかった。前が走って詰めるので、間隔が開いて、一人離れて立つようになる。それでも動かなかった。
●中学校のとき、私の伯父が校長先生だったのだが、私達ワルグループが昼休みに教員室の廊下の前を走って、注意された。あの頃、体育館で昼休みのあとに朝礼(おかしい)みたいに全校が集まって、校長先生の話を聞いたりした。椅子はなくて、生徒はみな床に座っていた。そこで「昼休みに廊下を走った生徒は立ちなさい」と言われ、困って、みなの体が固まってしまった。どうしよう、誰が立つか、シーンとしている。一番に立ったのは私だった。それを見て、一人また一人と立ち始めたのだった(何を隠そう、その頃から、私は番長だった)。
●私の家は百姓で、子供の時、学校から帰るとすぐに田んぼに行き、手伝わされた。とても、いやだった。大きくなったら、こんな仕事はやるまい、と何度も自分に誓っていた。しかし、今思うと、私の根性を育ててくれたのは他でもない、佐渡が島の農仕事だった気がする。とにかく、嫌もよいもない、しなければ終わらない。中学か高校か、定かでないのだが、あるとき、母と二人で稲刈りをしていたら、辺りが暗くなってきた。母が「もう止めて帰ろう」と言ったのだが、私は「この田んぼ、終わるまでするから、お母さん、先に帰って」と言って、し終えるまで帰らなかった。その田んぼはそう大きくはなかった。
●どうだろう、このくらいのエピソードで私の頑固ぶりがわかってもらえただろうか?自慢にはならないが、今、思い出して、「おぬし、なかなかやるな」と苦笑いしている。実はまだまだ掘り起こせば痛快なエピソードが出てくるのだが、今日はこのくらいにしておきましょうね。
今日の一首: 蔦(つた)一つはらり舞い落ついとしきはオー・ヘンリーの「最後のひと葉」
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ワット takakowatt@gmail.com
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