神話の時代から湯をたたえる道後温泉<br>2018/3/3<br>satuei 神話の時代から湯をたたえる道後温泉
撮影:和崎美幸(あけぼの山口)2019/3/3

今回の「ワットさんの巡業リポート」はHP巻頭の方に廻されたので、今日はプライベートなことを書いてみようと思う。先日も埼玉の会場で数人から「読んでいますよ」と声かけられてうれしかった。励みになる。あけぼの会の仕事をしているとき「どんなときも軸足がぶれない」というほめ言葉をもらった。簡単に揺らがない。「芯を通す」とも言える。これは「我を通す」こととは違う。聞く耳を持ちつつ、自己を失わないことだと思う。

わが来た道を振り返ると、いろんな場面を思い出す。私は小学校の時から筋を通す子供だった。今の若い人は知らないと思うが、あの頃は学校で体育の時間に行進をさせて、「全体止まれ」「右向け右」というような軍人と同じ命令があった。止まれ、の声がかかったら、1歩2歩3歩の3で両足をそろえてピシッと止まる。ところが要領が悪いと、このリズムに乗れなくて、前との間隔を正しく詰められない子が必ずいて、止まったあとにあわてて小走りして合わしたりする。そんな時、私は3で止まったら、絶対に動かなかった。前が走って詰めるので、間隔が開いて、一人離れて立つようになる。それでも動かなかった。

中学校のとき、私の伯父が校長先生だったのだが、私達ワルグループが昼休みに教員室の廊下の前を走って、注意された。あの頃、体育館で昼休みのあとに朝礼(おかしい)みたいに全校が集まって、校長先生の話を聞いたりした。椅子はなくて、生徒はみな床に座っていた。そこで「昼休みに廊下を走った生徒は立ちなさい」と言われ、困って、みなの体が固まってしまった。どうしよう、誰が立つか、シーンとしている。一番に立ったのは私だった。それを見て、一人また一人と立ち始めたのだった(何を隠そう、その頃から、私は番長だった)。

私の家は百姓で、子供の時、学校から帰るとすぐに田んぼに行き、手伝わされた。とても、いやだった。大きくなったら、こんな仕事はやるまい、と何度も自分に誓っていた。しかし、今思うと、私の根性を育ててくれたのは他でもない、佐渡が島の農仕事だった気がする。とにかく、嫌もよいもない、しなければ終わらない。中学か高校か、定かでないのだが、あるとき、母と二人で稲刈りをしていたら、辺りが暗くなってきた。母が「もう止めて帰ろう」と言ったのだが、私は「この田んぼ、終わるまでするから、お母さん、先に帰って」と言って、し終えるまで帰らなかった。その田んぼはそう大きくはなかった。

どうだろう、このくらいのエピソードで私の頑固ぶりがわかってもらえただろうか?自慢にはならないが、今、思い出して、「おぬし、なかなかやるな」と苦笑いしている。実はまだまだ掘り起こせば痛快なエピソードが出てくるのだが、今日はこのくらいにしておきましょうね。

今日の一首: 蔦(つた)一つはらり舞い落ついとしきはオー・ヘンリーの「最後のひと葉」
 
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           ワット takakowatt@gmail.com

🎀 2019年 ワットさんのスケジュール 🎀
 1月   神奈川 (1/27・新年会)& 東京(1/30・ランチ会) 終了
 2月   静岡    (2/16・新年会)  終了
 3月   東京  (3/3 ・ミニ講演と相談室)埼玉 (3/9・乳がん講演会) 終了
 4月   徳島    (4/7・あけぼの徳島30周年記念大会)
 5月   
 6月   新潟  (6/9〜10・いで湯の旅)愛知(6/23・講演会2019)
 7月   福岡  (7/28・九州大会2019) 
   8月   
 9月   札幌    (9/14・講演会)
10月   愛知  (10/5・全国大会in名古屋)
11月   
12月