●全国のみなさん、悲しいお知らせです。富樫さん、遂に命尽きました。2011年6月17日金曜日夜8時16分、千葉の自宅でした。享年55。19日お通夜、20日お葬式、共に千葉・稲毛のセレモ稲毛駅ホール、稲毛駅から徒歩3分という足の便のよいビルの中でしめやかに行われました。お通夜の参列者が多かったので、びっくり。一度に入りきれず、2回転させていました。あの人がいかに大勢の人に愛されていたかを物語るお別れの夜でした。なんとあのお忙しい中村清吾先生も一人で駆けつけてくださって感激しました。

●祭壇は故人にふさわしくゴージャスな生花のアレンジで飾られ、中央の写真は濃いピンクのジャケットを着て、やさしく微笑んでいるいいお顔、今にも話しかけてくるのでは、と思うほど生き生きしたお顔でした。ご主人が挨拶されたのですが、声を嗄らしていて、哀れ、きっと泣き明かしたのでしょう。息子さん夫婦とあどけないお孫さん、そして鹿児島のお姉さんとご主人、ほかが家族席にいました。お通夜に男性が俄然多かったのですが、ご主人の仕事関係だけでなく鹿児島の高校の同級生軍団他、迫力ある年齢層が多かった。

●6月4日にストレッチャーに乗せられたまま自宅へ帰った。夜中に何度も起きることがあって、苦痛から全面解放されたわけではなかった。ご主人には退院時「あと三日」の余命宣告があったばかりでなく、病室を去り際に「何があっても驚かないでください」と主治医が告げるのを耳にした私は、千葉までの帰り道でも変事がありうるのかと怖かった。それがなんと2週間も家族と共に最後の時を過ごしたのです。驚かないで、と警告を出した医師陣が、実は一番驚いたでしょう。医学なんて、おおよそ当てにならない。

●命の執念、生きる意志と生命力でしょう。それほど生きたがっていた人だった。「あと5年、せめて還暦を迎えるまで」があの人のささやかな望みだったのに。思い半ばの幕引き、無念。でも富樫さんは55年の命を見事に生き切った。特に最後の10年はあけぼの会に魂を捧げてくれた。持てる才能、湧き出るパワー、情熱、使命感、全部をぶっつけてくれた。充実の年月だったのではなかろうか。責任感が強く、引き受けたら最後までやり通す。「何でも会長さんがしなさいと言われるからするのです」と素直で純粋な人だった。

●あの富樫さんがもういない。最後の日々、もっと楽しい思い出話なんか、すればよかった。血液検査の数値が上がった下がったなんかを話しては一喜一憂。今、悔やまれてならない。昨年8月に仕事を兼ねて、香港マカオの旅をした。現地の会員の竹本さんに案内してもらって、どれだけ楽しい日々を過ごしたか、あの時の話をすればよかった。それと、これからのあけぼの会の進み方を相談すればよかった。いつも大胆な決断をくだす人だったから、勇壮な構想を聞けたに違いない。追いかけて行って聞いて来たい。

●「会長さん、また書いてくださいね、いつも私のこと、好く書いてくださるんだもの・・・」

とはにかんでいたのを思い出して、訃報を書いている。とても書き切れないたくさんの思い出を残してくれた富樫さんよ、今一度、あなたにお礼を述べさせて。「ありがとう、あなたに会えて私たちは幸せだった、あなたのあったかい笑顔をいつまでも忘れません」

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