東京が3日続きで猛暑日だったニュースが届いて、想像しているが、実感できない。こちらは涼しくてカーデガンを羽織って出かけているくらい肌寒い夏、洗濯物が乾かなくて困っている。家の4階のベランダのプランターは照り返しで全滅しているのではなかろうか。1匹残してきたキティ猫は暑さでひしゃげているのではなかろうか。実は私が発つ5日前に相棒のジローが死んだ。腎臓病で不治宣告を受けていたので、心の準備はできていたが、それでも15年近く家族だったので悲しかった。ただ私が日本にいるときでよかった。

 ジローの亡骸を加藤さん(留守中、いつもペットを見てくれるよそのおじさん)と二人で箱に入れたが、ついでに3年前に死んだ犬のシンチャンの骨を下に敷いて、その上に乗せた。壷から骨粉を出すときはさすがに緊張した。おじさんが「ジローちゃん、向こうでシンチャンと遊びなさいね」と言ったので、このやさしさの発想に驚いた。私はただ、やり場に困っていて、この機幸いとばかりに入れたのだった。彼はシンチャンの骨を引取りに行ってくれた時も帰り道、いつも通っていた世田谷公園を1周してくれたという人。

 娘が夏休みに入った孫を連れて、Devonの友達のところへ出かけた。土日と二晩泊まり、月曜の私の出発時刻までには帰れないので、夕べは束の間の最後の晩餐、なぜか二人とも帰途、タイフードをテイクアウトしてきて、全部で6種類、てんこ盛りタイナイトになった。グリーンとレッドでカレーも重複はしなかったが、色が違うだけで激辛は激辛、とにかく辛い。来月からバンコックへ戻って町を歩けば、どこでもこの匂い。群集がエアポートを占拠して抗議デモなんかするようになってしまったタイ、かつては平静の国だった。

 このたびのロンドン3週間はあっという間に過ぎた感がする。退屈する間がなかった。家政婦と介護の介助。ホームの帰りには必ずスーパーで食料品を買って、下げて帰るので、その重さで腰が痛くなった。朝起きるときに、さっと立てない。無理は禁物なのだが、つい買ってしまって、肩に一つかけて、両手に二つぶら下げる格好になる。近くのコンビニのパキスタン人ニイチャンが私の顔を見ると、ジャパンジャパンと声をかけて、ジャパンに行きたいがビザが降りないので、私にお母さんになってくれ、という。勿論OKよ。

 ビザの保証人といえば、ある国際会議でネパール人が近づいてきて(とそのときは思わなかった)今度日本に行きたいので、招待の手紙を書いて送ってくれと言う。いいですよ、と軽く引き受けて、送った。ある日、そのネパール男から電話が入った。日本に来たので会いたいという。目黒駅で会ったら、男が違っていた。お土産を渡してくれて、暫く滞在するというので、再会の約束をして別れた。そしてプッツン、彼は消えた。今ころになって、私が彼の不法入国のため、いいように利用されたことに気が付いた、おめでたい話。

 いよいよ帰国、8月に娘もいなくなれば、息子が一人で頑張ってくれるしかないので、今日明日の週末は全力で息子の機嫌を取る予定。彼も9月には高卒20年同級会でサンフランシスコへ行く。子供たちを見ていると、どんな状況でも何ができない、とは言わない。したいことはする。だから私も「・・だから・・が出来ない」なんて、ここでは言えない。

                   これが買い物おばさんと褒められた帽子です

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