▲暮れから帰国していた息子が20日に発って、21日には娘と孫が去って、またさみしくなった。でも客がいると自分の時間が取れず、ひどいときは朝刊も読んでないことがあった。今回は特に孫が大学受験申請書(外国人枠で)を書くのに、ダイニングテーブルと私のパソコンを母娘が終日占領して、家主の居場所がない。他の部屋は寒くて誰も行かない。私だってイタリア語の予習をしたいのにできないばかりか、クラスがあったのは彼女たちが朝発った日だったので、おにぎりを作ったりして、疲れ果てて、半分寝ていたようだった。
▲さて、先ほど偶然Eテレでがんの番組を見つけたら、なんと若い患者たちがラインダンスをしていて、それもなかなか上手でビックリ、目を見開いた。これだ、こういう勇ましいのが今どきのがん患者に受けるんだと納得、【あけぼの会】は時代遅れかなあ、と思ってしまった。がんをしっとり考えるより、足上げて無心で踊って、がんを忘れる戦法なんだ。確かに見ている方も楽しくなる。ヨガや瞑想よりも、音楽に合わせて夢中で体を動かした方が憂さを発散できる。私が会長さんだったとき、何故これを思いつかなかったのだろう。(今思い出した、私たちも朝日ホールでファッションショーをして、ラインダンスをしたことがあった)
▲時代なのだ。なんせ、がん告知をすべきか否か、が深刻な問題だった頃もあったのだから。この40年余りの間で、乳がんほど、変遷を重ねてきたがんは他にないだろう。全摘か温存かの手術方法とか、今は再建手術も当たり前になっている。抗がん剤を持ってしかり、私のときは、黒い粉末で一袋1000円、1回分がオブラートからはみ出るくらいの量の薬(クレスチンといったような)をのまされて、のめば治ると信じていたが、今は症状に合わせた薬で、患者は効用と副作用まで知らされている。(私こそ「乳がん変遷史」を書くべきなのかも)
▲東京にやっと本格的な冬がやってきた、というような一日だった。暫くはこの寒さで行くらしい。昔、あけぼの会を手伝ってくれた人が今頃別のがんになって闘病を始めたばかり。一つのがんでは済まなかった。寒くて暗い冬の日、心の中を想像するとかわいそう。時代は変わり、人も変わる。しかし、がんという病気はやはり重くて辛い。誰もがダンスに興じるというわけにはいかないのが事実、切ない現実だ。 ワット takakowatt@gmail.com
今日の一首: 去り際に忘れ物なきか問われたら 吸殻ぐらいと答うればよし
これまでの今日の一首 2018年12月〜2019年4月
2019年5月〜2019年12月
今日のイタリア語:髪の毛のことをcapello (カペーロ)といい、
1字違いcappello(カッぺーロ)が帽子、
ただし、髪の毛は1本ではなく複数なのでcapelli (語尾がiに)
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