――全国のみなさん、新年あけましておめでとうございます――
▲ご家族お揃いで平和なお正月をお迎えでしょうか? 聞き飽きた「コロナ禍」、このせいで、平和とは言えないかもしれませんが、誰のせいでもないので、どうやり過ごすかは己の生き方に通じる話、と自分に言い聞かせています。しかし、昨日の東京の数はあっさり1000人超えで、またの緊急事態宣言発令は時間の問題でしょう。それにしても日本の総理大臣、何回見ても総理に見えない、(ガースーなんて、はしゃいだりして)・・・とか何とか、私、言ってもいいのかしら?
▲一国の長なら少しは国民に、元気か夢か希望か、親愛とまでは言いませんが、何か与えてくれなければ。日本の国がみすぼらしく見える、と感じるのは私だけ?もっと心豊かな国にしましょうよ、ね。さて、我が家は家族ゼロのお正月です。11月末から、息子が帰っていたのですが、昨日アメリカへ発ち去り、広島の娘と孫は東京敬遠で来てくれません。結局、猫2匹と――ベランダの雀見つめる息止めて 猫と私の愉快な融和――こんな感じです。
▲私の夫は2012/2/12日に亡くなったのですが、あの冬は格別に寒かった。―ロンドンの凍てつく夜にバスを待つ死を待つ夫を見舞いて一人――この歌、気に入っているのですが、真っ暗な冬の夜、バスがなかなか来なくて、泣きそうに心細かったのを思い出します。人生って人と人との繋がりでできているのだとつくづく思う。あけぼの会のみなさんとも乳がんという病でつながって、同士の契りを交わした仲? 乳がんにならなかったら絶対に知り合えなった私たち、しかも全国の私たち、なってよかった、なーんて、これはウソ。
▲息子と二人でいた時、父親が生きていたら、彼にとって、どんなにか充実の日々だったか、と言葉にはしませんが、つくづくそう思いました。いい話し相手、遊び相手だった。私では物足りない、まったく相手にならない。兄弟のように気の合う親子関係でしたね。夫はまた何にでも無限に興味と追及心を持つ人で、いっときもボォーッとしていなかった。読書家でもあり、発病前にプルーストの「失われた時を求めて」を読了したと満足な顔を見せたのも思い出す。ものすごい長編で、日本語訳だと400字詰め原稿用紙10,000枚に及ぶとか。
▲人間は生きている間に何をしたか、がその人の人生なのですが、死んだら忘れられてしまい、何もしなかったことになるのか、とか考えてしまう。でも何かし続けなければ、生きていることにならない。生きている人はそれだけでも感謝して、何かし続けなければ、と厳しく己を戒めて、2021年のスタートを切りました。 ワット takakowatt@gmail.com
※久保さんからの初日の出は今年3年目です。ありがとう!
今日の一首:信念の衣一つ着てガンジーかマザーテレサのごとく生きたかりしに
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