▲1週間がスラっと過ぎて、気が付けば、何か書かねばならない日が来てしまった。週一と言え、これが簡単じゃない。楽しく明るく示唆に富み、ユーモア、ウィット、生きる知恵、 究極はがん患者に愛と勇気、これだけ込めて、毎週メッセージを書くなんて、至難の業。
▲それで今日は歌人・河野裕子さん(1946~2010)の乳がんのつぶやきを紹介します。
――2000年(平成十二年)の秋に乳癌が見つかった。それ以来、一日として安穏の日はない。当初は手術をすればなんとかなるだろうと素人考えをしていた。とんでもないことだった。乳癌は手術をしてからがほんとうの病気の始まりだったと思い知らされた。
いつ転移、再発するか知れない不安と思いがけない後遺症に悩まされ続けて十年。左の乳房だったため、左半身に後遺症が出た。頭の先から足の先まで、痺れて寒い。真夏でも冷えてしょうがない。胸と背中は岩盤のように凝りかたまってしまった。私の同じひとつの体でありながら、左半身の苦痛を右半身でさえ分かってやることができない。だから他人に分かってもらおうなんていうのは初めから無理なこと。人のこころも体の痛みも、自分自身の、それさえ分かっていないというのが人間という存在なのだと思い知るようになった。
水泳、整体、按摩、鍼、ヨガ、ペインクリニックと考えられることはすべてやってみたがどうにもならなかった。この後遺症とは死ぬまでつきあっていくしかない。
手術から八年目の一昨年の夏に、三個所の転移を医師から告げられた時は自分ながら冷静だったけれど、病気のほんとうの怖さを身をもって知ったのは化学療法に入ってからである。癌は副作用との闘いであるといわれるがまことにその通りである―――
▲長い引用になったが、「たとへば君――四十年の恋歌」河野裕子・永田和宏(文芸春秋社) からで、題名は「たとへば君 ガサッと落ち葉すくふやうに私をさらって行ってはくれぬか」の一首から付けられている。もともとは「清流」(平成22年6月号)に掲載された。
▲実は私も左側、弊害が左半身に起きているので、その部分だけを引用と思ったのだが、恐らくみなさんはこの位読みたいだろうと思って、敢えて長文を転載している。私の今回の坐骨神経痛も左足が痛い。血の巡りが悪いのか、左足がだるくて事務所でも時折、机の上に足を持ち上げていた。ツボを押したり叩いたりする。左足裏の皮膚は乾いて半死状態、つまんでハサミで切っている。手も左だけが異常に冷えて、ベッドで本を読むときは手袋をしている。今まで手術と関係あるのか定かでなかったのが、河野さんのこの一文で納得できた。
▲人間の体はどの部位でも持って生まれたものは終生あるべきで、切っても同じとはいかないのだ。命と引き換えとは言え、多かれ少なかれ患者はみな代償を払わされている。ワット takakowatt@gmail.com
今日の一首:為すことのなき雨の午後 河野裕子を懐かしみ読む
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