巨人のガイジン選手がパスポートを忘れて予定の飛行機に乗れなかったって。かわいそうだけど、他人の不幸は蜜の味。私も一度忘れて(持ったつもりで)池尻大橋から地下鉄に乗ってから、なんか不安で確かめたら、ない。パニック!次の渋谷駅で飛び降りて、タクシータクシーとわめきながらタクシー乗り場ではない、かなり危険な道のど真ん中で一台止めて、家まで戻り、取って返したことがある。幸い、間に合ったが冷や汗ものだった。

 我が家は誰かが海外行きの時は必ず「パスポートとチケットね」と確認したものだ。下着が1枚足りなくても飛行機には乗れるのに、3日分にするか4日分にするか、そんな瑣末に神経を使って、肝心のものを忘れてしまう。最近はeチケット、コンピューターで予約していれば、チケットはなくても命取りではなくなったが、まだパスポートはそうは行かない。私も今日は帰国の日、4時半に目が開いたので起きて、パスポートと昨日プリントアウトしたeチケットをバッグにしっかり入れた。先月20日に来て、今月20日に出る。

 娘が昨日の朝、「ダディをあのまま、あそこで死なすのかと思うと悲しくなる、また家に連れて帰ってあげたいと思うんだけど?」と苦渋の顔で私に聞く。突然だったのと、私はもう娘は施設でいいと決めたと思っていたので、少し戸惑って、「わからん」と答えた。考えてみないと即答はできない。病人がホームに移って丁度6週間経っている。本人がどう思っているかが知りたいとこだが、わからない。しかし、連れ帰ることは逆行すること、進化ではない。それと今出れば、将来また施設に戻りたい時にすぐに戻れる保証はない。

 「ダディはね、4年間、完全に私たち家族のものだった。4年は長かった。だから、今は、もう私たちのものではなくなったと決めて、誰かに返すのだと思おう。神様にか、それとも宇宙にか、返してしまおう。ダディがこんな病気にならなかったとしたら、地球のあちこちに散らばっていた私たちが同じ屋根の下で住むなんて、あり得ないことだった。私たちはダディのお陰で幸せだった。辛かったけど、それ以上に幸せだった、そう思わん?」

 「昼間看てもらって、夜は毎晩あんたたちが代わりばんこに行っているのだから、見捨てたわけではない。それとね、極論だけど、人間の寿命はもう決まっている。家にいようが、施設にいようが、どんなに手厚く看病しようが、死ぬ日にちは決まっている。宇宙の法則。そうと割り切れば、自分を責めることもない。みんなできることを十分したものね。それでももしもっとしてあげたいと思っているなら、それは自分の欲。物事には必ず切りを付けて、どんなに辛くても、違う道を選ばなければならない時があるんだから」ね。 

 こうして、娘に、病人を家に連れ帰ることを断念してもらうスピーチを書いている。書いて、まずは私の頭を整理しているのだが、私だって誰かに教示してもらいたい。息子は私とパリで別れて、汽車でスペインのサン・セバスチャンに行き、翌日はバルセローナまで行って、まだ帰って来ていない。娘が納得してくれれば、息子にも上手に伝えて説得してくれるだろう。さて、にわか仕立ての私流哲学的死生論は果たして説得力があるか、自信がない。日本に帰ってからでも遅くないので、また考えることにする。