一ヶ月の出張賄い婦は今日午後4時にこの家を出てヒースローに向かい、19時半のANAで日本へ飛び立つ。外壁に藤の花がゴージャスに咲く家の前を通る。藤の花こそ、ため息もの。バス通りの両側に聳え立つ大木の葉がブワッと垂れ下がり、緑層のトンネルを作っている幽玄の道よ、さらば、今度見る時は晩秋の枯れ葉になっているかもしれない。病人にまさかがあれば、飛行機代などいくら高くても飛んでこなければならない。今は至って平穏。終日目をつむったまま、沈黙の中に魂を泳がせて、自分だけの世界に潜んでいる。

 今回は、つつがない日々が足早く過ぎていった。「ロンドン便り」もドラマがなかっただけ、退屈便りで終わってしまった。我が家の場合、ドラマはないほうがいいのか、それともドラマティックなendingが来るのを待っているのか。成り行きに任せるしかないと決めてある。ただ言えるのは、夫のALSに振り回されて遠回り道をしてきたこの4年半はワット家の人生の歴然とした一部であったことだ。一つの目的に向かって邁進することだけが人生だと思っていた私だが、今は違う。この間の重みを思えば、遠回りの正当化ができる。

 ただ、この先何年になるか、予想がつかない。いつも同じ呟きだが、未来が頭の中で堂々巡りをしているので、つい繰り返してしまう。娘は夕べ12時過ぎにホームから帰ってきて、ダディはますます反応しなくなった、とさみしそうに言う。もっぱら就職復帰作戦に必死で、UN関連先ならどの国でも行くことにやっと腹を決めた。それがなかなか見つからない。息子は彼女がいなくなっても、この国に残って、全面引き受ける覚悟を見せている。ありがたい。弟なので、結構甘えていた一面があったが、やっと大人の男になってくれた。

 私は日本に帰れば忙しくなって、夫の身を案じる暇もなくなるだろう。本来なら許されないことなのに。70になれば、あとは80になるしかないのだから、今の内に私も何かしたいのだ。それは現役を終えるための支度なのだが、案外、時間と体力が要ると思っている。みなさん、5月8日付けの「読売新聞」を見てくれただろうか。富樫副会長がHPのお知らせ欄に上手に予告してくれたあの新聞広告。あのページに私の32年間の祈りが集約されている。涙が出そうにいい文章、あんな広告を出せるまでにあけぼの会が育ってくれたのだ。

 最後の夜、息子の友達が二人来てくれたので、また腕を振るって歓待した。料理を作って食べてもらって喜ぶ人は支配欲が強い人らしい。そう、私は人より数倍も支配欲が強いので、せっせと作る。鳥の唐揚げ(これがいい味にできた)、トンカツ、ポテトサラダ、アボカドグリーンサラダ、そして、日本から持ってきて冷凍してあった佐渡の塩イカを焼いて、すごい量、ありたけ食べましたね。みんな日本のお母さんの味に飢えていたのよ。

 毎日通ったホームへ今から行って、暫しの別れの儀式をしてこなければならない。日本とイギリスの縮められない絶対距離、会って別れての繰り返し、ナース・リズが私のことをパートタイムワイフと呼んでいた。いい得て妙。キティとジロー、二匹の猫が私を待っていることだけを考えて進むことにしよう。そうしないと後ろ髪が引かれて、痛くて、足が前に出ない。日曜なので、息子が車で送ってくれることになった。別れが余計辛くなる。

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