7月5日、午後4時、2ヶ月ぶりにヒースロー空港へ軟着陸。日曜日の空港混雑を避けて、賢く月曜発着にしたはずだったのが、大きく外れた。成田は人の山、3時間前にチェックインして、プレミアムシートに昇格してもらう‘あわよくば’の策も当然外れて、一般庶民と同じエコノミークラス。ANA国際便に乗るときしか味合えない特権階級感を奪われて全身脱力、座り込みそうになった。それでも万が一を想定して、エコノミーでも非常口席を押さえてあったので、両足を思い切り伸ばせるだけありがたかった。
非常口席は非常時の扉がある分、空間が広い。知る人ぞ知る席で、最初に埋まるのでなかなか取れないのが運良く空いていた。それも、かつては若い男しか座れなかった席だ。事故の際、人々を誘導して脱出援助をするためにはヤングマンでなければ。それが最近はよろよろばあさんでも「まさかの時は人命救助の先導をします」という誓いさえ立てれば座れることになった。ありがたい。搭乗前にも再度念を押されたが、勿論、承知していますと言いながら、どっこい、先導なんかではなく真っ先に逃げる算段、お先にごめんの策。
5月の帰国時には秋まで戻らないつもりだったのだが、私の言う秋は11月なので、そうすると都合半年も戻らないことになる。2ヶ月日本、1ヶ月英国、のパターンがまず程よい。気が咎めない。日本では毎日事務所に通って、あけぼの会の仕事に専念した。よく働いた。私って、どうして、こんなにもがんばるのだろう。ニュースレターNo.120と「会員名簿」を完成させるのが一仕事だった。全国の会員が首を長くして待っている。ある日、郵便受けに会からの封筒が入っている、何だろう、気が焦る、胸が躍る。想像しただけで私の胸も躍る。
5月には松山で、そして離日前の7月3日には東京でセミナーがあって、15分間の講演とパネルディスカッションで舞台に登った。私はどこでも今や最年長者なので、臆せず発言することに決めている。いつ終わりが来るかわからないのだから、言うべきことは言っておくのが年寄りの務めというものだろう。誰に遠慮がいるものか。「ラジオNIKKEI」でも半時間の収録を済ませてきた。短波放送なので、じかに聞ける人がそういない。でも今はパソコンでもアイポットでも聴けるそうなので、興味のある人は私の代わりに聴いてみて。
ロンドンは真夏、7月というのに今日は32度になる予報で、新聞の見出しは「イギリスが燃える」とか「焼ける」とか、大げさな表現。炎天灼熱で倒れる人も出ている。ここの地下鉄には冷房がない。娘と孫と出かけてきたが、満員の車内はまさに蒸し風呂だった。それでも誰も扇子も団扇も使わない。慣習ではないのだろう。週末の地下鉄は前触れなしに運休する線があるのが常で、その分、稼動線に集中する。ピカデリーサーカスに行った娘は観光客の多さに驚いたといっている。ロンドンは世界で一、二の観光都市なのだ。
肝心の病人は痩せ衰えて、か細い息をしている。もう生きていてもしょうがないのは誰の目にも明らかなのに死ねないのだから、哀れを通り越して、酷の一字。息子が3年前に買った扇風機が役に立って、冷房システムのない病室に神の涼風を運んでいる。帰り道、暑さの中、途方にくれた私という一個の人間が、どこの誰なのか、どうでもよくなった。