●緑よ、緑、新緑よ、濃い緑、柔らかな黄緑、緑のグラデーション。桜には酔うような美しさがあるが、そこはかと儚さが付きまとう。春の緑には、未来への力強い確かさがある。秋に落葉になるまでは燃え盛るという無言の約束がある。今、私がほしいもの、それは未来への希望。思えば、英国通いを始めて、6回目の春、絶望視された病人のために、実に23回も日英を往復していた。この数をもう一度数え直してみなければ。逃げ道のない、この5年の歳月、ひたすら右往左往した日々、今回は成田空港へ向かうのさえ、億劫だった。
●この旅は、大事な富樫さんを置いてきてしまった旅。でもあの人には友達が無数いて、病室の訪問客が後を絶たなかった。鹿児島の同県人、同級生、知人、老若男女を問わず。若いナースが言ったそうだ。「富樫さんのように友達の多い人になりたい、なります」。またも記録を塗り替えて、それでも得意顔一つせず静かに微笑んでいる。人はいろんな場面で本体を表すものだが、彼女はこの段になって真価を表した。出国は退院を待ってからにするつもりだったが、すぐにはない、とわかったので、フライト再々変更して出てきた。
●「帰りを待っていてね」1日に聖路加で会って、2日に成田から電話を入れて、そう伝えた。4日には一泊外泊許可が下りて、千葉のお家に帰った。「少し片付けして、これからゆっくり休みます」のメールが届いた。片付けなんかしなくても、でも、主婦は、それがしたいのよね。今ロンドンは5日夜9時、8を足すと日本時間。よって、6日朝の5時、木曜日、待ちに待ったジェムザール4回目。する前から結果が待ち遠しい。効いてくれれば、肝臓の腫れが退いて、楽になって、ついでにカルシウム値も下がる、きっと下がる。
●大英帝国はウイリアム王子の結婚式一色かと思ったが、とんでもない、3日のタイムズ紙全ページがビン・ラディンの襲撃とライフストーリー。このニュースが世界を駆け巡った時、私は雲の上。知る由もなく、機長の特別アナウンスもなかった。日本のみなさんに結婚式直後のロンドン情報を送って、と頼まれたのだが、余韻は掻き消された感がしている。テレビでグランドゼロの光景を見て思ったのが東日本大震災の爪跡。そして、アメリカ国民もあの時、今の日本のような激しい落胆と沈鬱の心を抱いたままだったのだと思った。
●我が家の病人は月日の流れも季節の移り変わりもビン・ラディン死亡劇も知らす、ただベッドに横たわったまま、4ヶ月前と変わっていない。強いて言えば、と言うことを考えるのだが浮かんでこない。世界を探せば、こんなふうに生きているのか死んでいるのか、どっちでもない人たちが、数いるのだろう。本人に意思があれば、まず本人が気の毒で、次いで、その人たちを見守る家族のご苦労も想像する。私の5年間が紛れもなく人生の重い一部分であったように、あなた方の苦労の日々も人生の尊い一部、と言ってあげたい。
●さて、これを富樫さんのアドレスに送る。果たしてアップされるかどうか。ベッドの上で働く元気があればアップ!バロメーターです。出国前の3連休、連日事務所へ詰めて仕事を片付けてきたので、疲れて終日寝ています。でもお料理は張り切って、エプロン姿でやっています。もうすぐ、あの「Thank you for Life」のカードがお手元に届きますよ。