●ずいぶんご無沙汰をしていました。富樫さんのこと、ホームページの刷新、月々のあいさつ文を書くこと、そして極め付きは「AKEBONO NEWS No.124」の作成、何やかやで殺人的忙しさでした。その中でも7月25、26日と佐渡へ里帰り、96歳の母親の身の回りチェック。一日大掃除をして、ゴミ袋7つ作って逃げて来ました。「要らん物は捨てて死ぬ支度をしなさい」と言えば、「死んだあとのことは知らん」と口答えする勇ましさ。ですから、いまでも一人暮らし、身を二つ折りにして、這って歩いていた。
●8月3,4日は四国の高松行き。高松は何年ぶりか、まだプロペラ機だったから、ジェット空港ができて始めての再訪、高松の海にぞっこん惚れ込んでしまった。夕焼けが美しいスポットと朝の出勤時に島々から連絡線が着く波止場、瀬戸内海は夕日朝日に光り輝いて静かで美しく、あの海原に私は心を残してきた。「思い出のサンフランシスコ」の歌詞のように。香川大学男女共同参画推進の一貫授業の講師に招かれて、なんと90分立ったまま喋りっぱなしだった。人前で話をする緊張感は頭脳の鍛錬になるからありがたい。
●8月6日(土)は久々のコンサート、紀尾井ホールへ会員の宇田川さんに誘われて行ってきた。好きなドボルザークを聴いて、大いに癒された真夏のアフタヌーン。指揮者は楊鴻泰、この名前がいいですね、ヨー・コータイ。演奏はNS管弦楽団、団員はみな仕事を持っている人なのだそうで、頭が下がりました。いつ練習するのでしょう。ホルン、イングリッシュホルンなどに始めて注意して見ていました。ドボルザークの「新世界」はいつ聴いても感動、この偉大なる作曲家は私の丁度100年前に生まれている。
●帰りにホテル・ニューオータニでお茶。あのホテルに入るのも実に何年ぶりだったか。思うに、イギリス行きが始まった2005年年末から私の行動範囲は成田空港に限られていた感がする。5月9日にイギリスから帰って以来、日本にいる。3ヶ月もじっと日本にいるなんて、ここ5年半の間になかった。自分の体の芯を取り戻したような気がしている。心配した心臓も結局、何でもなかった。ならば、あのトレッドミル検査の心電図異常は何だったのか。精密過ぎる検査をするから、少しばかりの異変が見つかって大騒ぎになる。
●コンサート帰りの地下鉄銀座線の中は一寸混んでいた。男の外人がすっと立って、私に席を譲るではないの。反射的に「Oh, ノー」と辞退して、おまけに「私ってそんなに年寄りに見えます?」なんて英語で減らず口をきく始末。彼のほうがビックリして恐れをなしていた。思えば、70過ぎれば立派な年寄りなんだから、席を譲ってくれたら素直に好意を受けるべきなのにね、なんて可愛くないばあさんなんだろう。でも私には全くその準備ができていなかった。だって今でも私が立って、席を譲ることがあるのだから。
●富樫さんは私の家に何回も泊まってくれて、二人で食事をし、テレビを見て、夜を語り合った。専用のバスタオルも寝巻きももう使われることはない。あの人がいない事務所にもみなが少し慣れてきて、何とか前進しようと心を一つにしている。今までは信じていなかったあの世があってほしいと思うようになった。どうしてももう一度会いたい。