・久しぶりにバンコクの娘のところへ来ている。最後にここへ来たのはいつだったか、夫の病気が発覚して、死に場所をこの国にするか、本国へ戻るか、逡巡したあの日々だった。2006年2月、夫は息子に連れられて、クリスマスから滞在していたこの国を後にした。バンコクの病院もあちこち行ったのだが、今思うと、ここにはALS病が少ないか皆無に近いらしく、誰もこの病について詳しく知らなかった。後進国(死語)民の特徴は、知らないことでも知らないとは言わず、ただニコニコするので、知っているかと錯覚を起こすこと。
・5年ぶりのバンコクは何も変わっていないかに見える。変わらずの交通渋滞、娘は車通勤なので、巻き込まれないよう朝6時45分に家を出る。と30分で職場。孫のスクールバスは7時にお迎え、しかし、昨日などは優に15分は待たされた。通学に片道1時間半もかかることがあるという。新しいマンションビルがニョキニョキ建っていて、真正面にも建築中の高層ビルが二つ並んである。驚いたのは昨夕、人間が3人、一人ずつ体にロープを巻きつけて、ビルの壁をつたい降りていた。映画を見ているようだった。
・孫の見送りでバスを待つ間、観察するに、作業現場に向かう労働者を乗せた屋根付きトラックが通り行く。荷台の両端のベンチに詰めて座って、振動で当たらないように頭を低くしている様は、戦争捕虜みたい。タイの地方から来た人か、隣国辺りから来た出稼ぎ人か、みな一様にむっつり顔。一日働いて、どれだけの日当なのだろうか、あんな非人道的的運搬車を見ると、日本がいかにニートな国かがわかる。日本なら、建築現場で働く人たちを見ても差別感はないし、何より、日本人には一定の清潔感がある。
・渋滞構わず、道の端を走るミニバイクは安くて早いので会社勤め風の外国人も利用している。太めの外人が、ちんまりシートに必死にしがみついている。タイトスカートの女性客は横座り、タイ運ちゃんの胴体に手を回している。あの人たちはヘルメットもかぶらないで平気。事故でもあれば命取りなのは一目瞭然なのに。このミニバイク組合にはルートのルールがあって、他人のルートで客拾いをしたりすれば、見せしめに半殺しに遭うらしい。仁義の世界。こんな国に10年以上も住んでいる娘も孫もたくましくなっている。
・さて、ひるがえって、話は日本のあけぼの会。秋の大会準備で大忙し、案内レターに次いで、「プログラム」を作って、全会員に発送。今はどんどん参加申し込みを受け付けて、入場証を発送する作業。どうか、全国のみなさん、来てくださいよ、朝日ホールのあけぼの会の大会もいつまでもありませんよ、と昨年から警告を出し始めた。ほんの1年前、舞台に立った富樫さん、車いすで「来年は歩いてきます」と宣言した静岡の新川さんの二人が今年はもういない。何とさみしい何と悲しい。 がん患者会の宿命だとわかっていても。
朝、見たこともない濃い赤の朝焼け空を見た。富樫さんだ、と思わず叫んだ。私に会いに来てくれた。私は最近仕事がいやで億劫で逃げたい気持ち。でも、生きている人は亡き人たちの思いを受け継いで、たゆまず努力しなければならないのだ。朝焼けに一瞬映った富樫さんの「会長さん、あと一踏ん張り」という声が聞こえていたような気がする。